リディツェという村を知っていますか?

8月8日、リディツェという場所で第二次世界大戦中に起こった残酷で悲しい出来事を間近に見てきました。あわただしくポストする気になれなかったので、週末の今日落ち着いて書いてみたいと思います。

リディツェ村はプラハから20〜30分のところにあった村で、1942年、ヒトラーの命令により、15歳以上村民の男性は銃殺され、女性と子供は別々に強制収容所に送られました。村中の建物は破壊され、木さえもすべて切り落とされて、村の存在自体が抹消されてしまったのです。

今ではかつての村のあった場所に記念碑と記念館が建てられています。

ナチスの作戦はあまりに徹底していて、かつての村の存在を語るものは、教会にあった小さなキリスト像や溶けたラッパなど本当に数点しか残っていません。
なかでも強制収容所から生きて戻った女性の証言を記録したフィルムはあまりに衝撃的で、涙が溢れてきました。どんなに素晴らしい村だったか、そして子供達と無理やり別れさせられた悲しみ。
記念館を見ながら昔、広島の原爆記念館を訪れた時と同じ気持ちになりました。どちらも戦争の前線ではなく、そこで多くの一般の市民が命を落としたのです。
リディツェはプラハと重要な軍事工場のあったクラドノの中間地点にあり、ナチスはデタラメの理由をでっち上げ、村を破壊したそうです。
戦後も生き残った女性は共産主義のプロパガンダに利用され、静かな日々はなかなか訪れなかったと聞きました。

再建されたリディツェの現在の村長さんは最年少の生存者である男性だそうです。
また、世界中の人々がリディツェの惨劇に哀悼の意を寄せ、またこれを題材にしたたくさんの芸術作品が生まれました。なかでもマルティヌーの「リディツェへの哀悼」、オタ・パヴェルの「Karři pro wehrmacht」は優れた作品として有名だそうです。また南米では多くの女児がLidiceと名付けられたそうです。

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今回の訪問はくしくも広島と長崎の原爆記念日の前後の日でした。

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